中之条町を流れる名久田川のほとりで育った篠原うめさん(76歳)から、名久田川の昔の情景を書いた作品「私の名久田川 ~川が残してくれた遠い日の思い出~」を頂戴しました。
篠原さんの少女時代の名久田川の生き生きとした様子が描かれ、川で遊ぶ子供達の笑い声が聞こえてきそうな文章です。とても感銘を受けましたので、ここにその全文を転載させていただきます。ぐんまの川が昔の輝きを取り戻すことを願って。
(画像は私が勝手に加えたものです)
***************************
私の名久田川
~川が残してくれた遠い日の思い出~
篠原うめ 著
冬のあいだ涸れ細っていた川面が、だんだん広がりを見せ、さざ波にまぶしい陽ざしが踊る春のお彼岸のころ「かじか」が石に淡黄色の卵を生みつけます。
卵は瀬の浅い流れの中で、小石などが台になって両手の指が入るほどの隙間のある石を裏返すと、広い部分が三糎、狭い部分が二糎ほどの範囲に、かたまって産卵されています。生みつけられた石の面が、どれもこれも平なことに、子ども心に感心したものでした。馴れて来ると上から見ただけで、卵の付いている石を見分けることも出来ました。その石の下には必ず頭や、ひれが一段と大きい雄のかじかが、卵を守って番をしていました。
季節が移って小麦の花の咲く頃は、私達が「クキ」と呼んでいたウグイの産卵期になります。いつも川遊びの先輩達が、「今夜は、クキをうんと取るんだから、早く夕飯を食べて合流地点へ集れ」と言って、男の子達は早速準備にとりかかったものでした。そこのクキの寄せ場はかなり流れの強い場所で、中ぐらいの石を上手に使って産卵のために遡上して来るクキが簡単には逃げ出せないように、川上に向かって一米余りの細長い馬蹄形状の「せき」を作り、水面から二十糎ほどの高さにします。中には砂や小砂利を敷いて産卵の場所に仕立てます。
産卵期を迎えたクキの横腹には、濃いオレンジ色の線が帯状に出てきます。早目に夕食をすませた友達が、だんだん呼び合って川に近い家の前を通るころは、もう丁度いい夕闇になり、川へ降りる細道にかかると、先達から、「足元に気をつけろ」と、声がかかります。男女十余人が無事川を渡り、そこから二十米程上流に仕掛けた寄せ場へ静かに向かいます。リーダーが、遡上して来て寄せ場へ入ったクキを逃がさないために、入り口をふさぐ南京袋を持って走り出します。その後ろに続いてみんな跳び出し、男子は声も立てず一斉に寄せ場をかこんで、クキを手捕にして岸へ放ります。私たちは暗い河原の石の間を跳るクキを見つけて袋へ入れます。たちまち寄せ場の中のクキが全部揚げられ、子どもだけで仕立てた、クキ漁がこうして終わります。今でも川上へ向かって寄せ場の中を犇めく、クキの哀れさと自然の中の遊びの醍醐味が、交差して浮かんできます。
また、こんなこともありました。岸辺の水の溜り場に、クキの子の群が泳ぐようになり、友達と二人で向き合って川に入り、手拭いの端を持ってそれを掬い、今度は何匹とれたかな、と数えては川へもどして時のたつのも忘れて遊んでいると、何かが足裏をくすぐります。足を上げてみると二糎程に育った、かじかの子が素早く移動します。時には「カマヅカ」と言って「ウグイ」に良く似た、動きのスローな魚が、砂を潜って来て足を驚かせます。この魚は誰でも捕まえることが出来ました。
また水の流れがゆるくなって、時には渦が巻くような深みが格好の水浴び場で、そこにさしかかる流れの巨石の下には、「ギギ魚」がじっとしていて、男の子は水浴びの間に二十五糎もあるものを、手づかみにしたりしました。
泳ぎ始めは、誰でも麦藁を浮きに使って練習し、見様見真似で、直ぐみんな泳げるようになりました。
陽がかたむいて対岸のアカシヤの影が伸びてくるころ、川遊びに飽きてみんな一斉に引き上げます。男の子は捕った魚を篠に通してその数を自慢しながら、わいわい帰る。その声を聞いて、畑仕事をしていたどこの親達も安心していたのでしょう。
私が幼かった頃の名久田川の源流には、山女、支流に天然鱒、えびなど、両手で数えるほどの種類の魚が棲んで居ました。
いま遠い日の思い出を、昨日のことのように手繰り、私たちを育んでくれた、ふるさとの川に、たくさんの魚を呼びもどせる日の来る事を望んでやみません。
********************************
名久田川について
吾妻川左岸の支流。延長10.2㎞、流域面積110k㎡の一級河川。吾妻郡高山村権現の今井峠(700m)付近が源流地点。そこからほぼ西に向かって流れ、中山盆地で右岸から西沢川・五領川・役原川が、左岸から梅沢川が合流。高山村尻高地区より中之条町に入って南へ向かって流れ、大道峠(797m)からの赤坂川が合流し、中之条町伊勢町地区の東で吾妻川に流れ込む。
紹介した篠原さんの随筆は名久田川の赤坂川合流付近の様子を描いたものである。
********************************
(平成20年2月2日追記)
著者の篠原うめさんは平成20年1月31日にお亡くなりになりました。享年77歳。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます
ふるさとの風景をいつまでも見守っていて下さいね。ありがとうございました
最近のコメント