歴史

2006年3月11日 (土)

大室公園(前橋市西大室町)

P3110037 群馬には古墳が多い。かつては約1万基の古墳があったといわれている。東国では群を抜く数である。数だけではない、東国で一番大きな古墳も群馬県に存在する。太田市の天神山古墳である。天神山古墳は全長210m、5世紀半ばに造営されたと推定されている。当時、東国一の勢力であった上毛野氏を首長とする毛野国の中心はここ太田市付近であったろう。関東平野は上毛野氏が実質的に治めており、朝廷からある程度、独立した国だったのではないかと思わせる品(鈴鏡)も関東地方の古墳から出土している。

6世紀初め、東国に大事件が勃発する。武蔵国造をめぐる争いである。国造の座を争って一方が大和朝廷に、もう一方が上毛野氏に応援を求め、結局朝廷に応援を求めた方が勝利したという結末であった。この話は日本書紀に書かれているが、上毛野軍と朝廷軍の間で戦があったのかどうかまでは、わからない。ただ、当時の上毛野氏は朝廷に対抗できる勢力であったと言うことはできる。(そうでなければ、当事者の一方が上毛野氏に支援を求めたりしない)。この争いで、敗者側となってしまった上毛野氏は勢力範囲が大分狭くなってしまったようで、その後の古墳の造営状況からみて、勢力の中心が現在の前橋市の大室付近に移ったようだ。前橋市西大室付近では7世紀にかけて造られた大型前方後円墳が密集している。その大室古墳群の、前二子、中二子、後二子の3つの重要な古墳を中心に整備されたのが、大室公園。

P3110001前置きが随分長くなりましたが(実は私、郷土史、特に古墳時代に強い興味を持っていた時期がありまして)、暖かな春の日差しに誘われて、大室公園に行ってきました。

広いです、大室公園。古墳の他に赤城型民家や親水ゾーン、岩室ゾーン等があるということなんですが、全部を廻り切れませんでした。

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園内の「五料池」にはたくさんのカモが泳いでいました。

P3110052_1 梅園では、紅梅が満開。白梅も三分咲きというところで、ミツバチが忙しそうに飛び回っていました。

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ヤドリギです。黄色い実がたくさん成っていました。鳥にとってはきっとおいしい実なんでしょうね。

大室公園、大変良い所なんですけど、一言だけ。近くに養鶏場があって臭いがちょっとね。

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トイレの表示です。さすがは古墳を中心とした公園です。

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2006年3月20日 (月)

相川考古館

Img_1241 5~6世紀の毛野国(古代ぐんま)は、東国の中心地であったことは、「大室公園」の記事で書いたとおり。古墳が多いと言うことは、当然埴輪も多い。群馬県県内の古墳からは重要な埴輪も多数出土している。教科書によく出てくる「挂甲に身をかためる男子」の埴輪は、太田市飯塚出土の国宝(東京国立博物館所蔵)。

県教育委員会の資料によると、群馬県内に存在する国指定重要文化の埴輪は5点。そのうち4点が『相川考古館』(伊勢崎市三光町6-10)の所有。その相川考古館に30年ぶりに行ってみた。

P3190018 相川考古館はそれ自体が史跡みたいな感じ。江戸時代の脇本陣の建物や土蔵に史料が展示されている。昭和25年10月に相川之賀氏のコレクションを展示する私立博物館として開館し、平成5年に財団法人となり現在に至っている。

受付で入館料500円を払うと、受付の人が「ここは初めてですか?」と聞いてきたので、2度目だったが、以前来たのは小学生の時だったので「はい。初めてです。」と答えた。すると、中を案内してくれるというので、お願いした。

Tinhiki この日は、「雛人形展」の最終日だった。明治期から昭和25年頃までの雛人形がたくさん展示されてた。今では珍しい御殿飾りも目を引いたが、中でも面白かったのは「ちんひき」という人形。女官が犬(狆)を散歩させている人形だ。今でも親戚がガラスケース入りの藤娘を送ったりするが、それに該当する人形らしい。犬は安産の象徴だから、こういう人形があったのか?

土蔵は2階建ての展示室になっていて、石器、埴輪、土器などが多数陳列されている。「この前の中越地震でも展示物がひとつも倒れなった」と案内してくれた人が言っていた。建物自体がかなり古く、ゆるみがあったので揺れを吸収したんじゃないだろうか?

Haniwa_1 国指定重要文化財の4つの埴輪は新しい立派な収蔵庫に展示されていた。いすに腰掛けて琴を弾く男子の埴輪はなんとも表情がイイ。琴をつま弾いているが、腰には短剣を差している。この埴輪は以前はよく教科書に掲載されていた有名人。この他に、鎧に身をかためた武人が1体と冠をかぶり正装した男子が2体。いずれも古代の豪族の姿を活き活きと今に伝えてくれる。久しぶりに素晴らしい埴輪を見ることができた。満足。

P3190014 この他に敷地内には群馬県でもっとも古い茶室「觴華庵」(県指定重文)がある。趣のある建物であるが、近づいて見ると、相当痛んでいる。近いうちに全面改修が予定されているという話だ。

この日は日曜日だったが、私の他に来館者は見えなかった。やはりいかに素晴らしい埴輪でも、所詮はハニワ。地味で一般受けはしないのだろうか? 群馬県民は1度は見ておくべきだろうと私は思うのだが(そう言う私もまだ2回目)。

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2006年5月 6日 (土)

土屋文明記念文学館

Img_2530 高崎市保渡田町(旧群馬町保渡田)に「土屋文明記念文学館」があります。土屋文明にはあまり興味がないのですが、企画展「手にとって見る雑誌展 -戦中・戦後 その断絶と継続-」が面白そうなので、行ってきました。

Img_2549 Img_2557 展示室には日中事変の頃から戦後間もない頃までの雑誌が並べてあり、手にとって読むことができます。この時代は終戦を境に日本が激変した時代で、雑誌を見ることでそれを感じることができます。ただ、戦中・終戦直後というと非常に暗く、厳しい時代だったという印象ですが、意外とその時代の雑誌にはその暗さはあまりないという印象でした。終戦から1年経たずに発行された雑誌も結構オシャレな記事が掲載されていたりしました(そんな雑誌にも「蝗を食べよう」なんて記事も載っていましたが)。

Img_2555_1 私には小学生の子供がいて、小学館の「小学○年生」を読んでいますが、当時の「小学○年生」や「良い子の友」を読むと、内容が今よりずっと大人っぽいですね。

企画展「手にとって見る雑誌展 -戦中・戦後 その断絶と継続-」は6月25日(日)まで。

Img_2544 土屋文明記念文学館は「上毛野はにわの里公園」の一角にあり、文学館の隣には八幡塚古墳が建造当時に近い形に復元されています。

八幡塚古墳: 国指定史跡保渡田古墳群の一つで、5世紀後半の前方後円墳。墳丘96mで2重の堀が巡り、全長190m。当時の有力豪族の墓と考えられている。

群馬県立土屋文明記念文学館HP

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2006年10月27日 (金)

ぐんま考古学ワールド2006 (県庁)

Img_4069 (財)県埋蔵文化財調査事業団(略称:まいぶん)主催の『ぐんま考古学ワールド2006』が県庁を会場に今日から29日(日)まで開催中です。考古学ファンの私としては押さえておかねばならない好企画。

県庁舎1階県民ホール北側では「展示会 ぐんま発掘玉手箱」が行われています。
県内の遺跡から出土した遺物が約500点展示されています。

Img_4051_1 縄文時代のお台所。ここでお母さんが美味しい食事を作っていたのでしょうね。
お父さんがイノシシでも仕留めた日には家族が大喜びでご馳走を食べていたのかな。

Ayu かまどの横にはアユが。

Img_4055 洒落た形の縄文土器。「釣手形土器」といいます。

神事を行う時に使われたランプ、御神灯です。縄文人達はどんなことを神に祈っていたのでしょうか。

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Img_4063 ハニワ達。古代群馬上毛野国ではたくさんの古墳が造られていました。大和朝廷にも対抗できるくらいの勢力があった時代もあります。古墳が多ければ当然埴輪もたくさん出土しますが、数だけでなく、考古学上重要な埴輪も群馬から少なからず出土しています。古墳大国ぐんまは埴輪王国でもあります。
埴輪には兵馬俑のようなリアルさ(ある意味血生臭さ)はありませんが、暖かさを感じますね。兵馬俑が動き出したら恐いですが、埴輪が動き出したら楽しそうです。(大魔神は恐いかな)

Img_4057 建造当時を再現した古墳の模型。

今では雑木林の小山になっている古墳ですが、造られた当時は葺石(ふきいし)で覆われ、埴輪が飾られていました。とても美しく神々しい感じがしたでしょうね。

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本物の縄文土器や弥生土器などを触ることのできるコーナーもあります。

Img_4067 奈良県の藤原京から出土した「木簡(もっかん)」(複製)。今の榛東村桃井付近から天皇に献上されたアユに付けられていました。当時はもちろん鮮魚ではなく薫製などに加工して都まで運ばれていました。アユは千三百年前のぐんまの名産だったのかな~?

10月28日、29日には県庁地下に眠る前橋城の遺跡を巡る「前橋城探訪ツアー」や勾玉づくり、土器づくりが体験できる「古代体験」、古代食が食べられる「古代食まつり」などが開催されます。
詳しくは→ぐんま考古学ワールド2006を行います

財団法人 群馬県埋蔵文化財事業団HP

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2006年11月 4日 (土)

大室公園(前橋市西大室町)

午後、次女と大室公園へ。南口の子供の遊び場は家族連れでいっぱい。ふわふわドームなどで遊んだ後、園内を散歩しました。

Pb040015 五料沼ではカルガモ、マガモ、コガモたちがのんびり泳いでいました。

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今頃、ツツジやシバザクラが咲いていました。このところの陽気で春と勘違いしたのでしょうか。

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桜も咲いていました。「カンザクラ」って書いてあったんですけど、違うような・・・。何でしょう、コレ?

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Pb040006 十月桜と判明しました(11月8日)

大室公園といえば、古墳です。大室公園には前二子、中二子、後二子、小二子という4基の国指定史跡があり、この周辺が6世紀の上毛野国の中心地でした。(東国の中心地と言った方がよいかも知れません)。

前二子古墳の横穴式石室。1880年にはアーネスト・サトウが調査に訪れているそうです。石室の中はベンガラで赤い彩色が施されていました。(今でもかすかに残っています)

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遊具、花、鳥、古墳。大室公園は家族みんなで楽しめる場所です。

大室公園(前橋市HP)

大室古墳群(埋蔵文化財事業団HP)

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2006年11月13日 (月)

群馬県立歴史博物館 (高崎市・群馬の森)

昨日の午後、群馬の森にある「県立歴史博物館」に行ってきました。(子供に「歴博で面白そうな展示してるから、行こーよ」と誘ったのですが、「え~、行かな~い」とつれない返事。しかたなく1人で出かけました。)

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歴史博物館では現在、子供のための特集展示「むかしのくらし」を開催中です(11月26日まで)。明治から数十年前までの暮らしの道具や生活の様子がわかりやすく展示されています。

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昔の教室や囲炉裏、茶の間の再現、食事の道具の移り変わり、洗濯機。何十年かタイムスリップしたみたいで楽しめました。多分、子供達よりも実際にこんな道具を使っていた私の親世代が喜ぶだろうと思います。(私も子供の頃に見たり、使った記憶がある道具もありましたけど)。

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私が小さかった頃、こんなお釜でご飯を炊いていた記憶があります。そう言うと、奥さんが「あんた、歳ごまかしてるでしょう~」って疑いの眼差しを向けます。

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電気洗濯機とタライの間にある丸いものは「手回し洗濯器」。高崎の林製作所という会社が開発した機械で、昭和33年に群馬県知事から表彰を受けたほか、日米英独の4カ国で特許を取得しました。しかし、同時期に電気洗濯機が登場したため普及しなかったというちょっと悲しい歴史のあるモノです。

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便器の横の噴霧器がイイですね

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群馬県立歴史博物館HP

群馬の森

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2006年11月21日 (火)

世良田東照宮(太田市世良田)

太田市世良田町にある「世良田東照宮」。
この地は源氏の名門新田氏ゆかりの地。新田氏の開祖新田義重の居館跡と言われています。
徳川家は新田氏から分立した世良田氏の自称末裔であるため、ここ世良田は徳川家発祥の地と称されます。

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徳川家康は元和元年(1615年)の大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼしホッとしたのか、その翌年の元和2年(1616年)、75年の生涯を駿府城でとじました。遺体は、いったん久能山に葬られ、遺言によって翌年2代将軍秀忠が日光に改葬し日光東照宮を造営しました。

世良田東照宮は寛永21年(1644年)3代将軍家光により、徳川氏の遠祖とされる得川義季の墓があり天海僧正が住職をしていた長楽寺の境内に創建されました。世良田東照宮の拝殿は日光東照宮の創建時の社殿を移築したもので大工頭中井大和守正清の最後の作とされます(国重文)。

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本殿の彫刻「巣籠もりの鷹」。松の木に作られた巣に3羽のひな鳥が籠り、左右の親鳥がひな鳥を見守っています。 家族愛、子孫の安泰、家内安全を表しています。左甚五郎作、狩野探幽画と伝えられています。(この鷹を恐れて野鳥が近づかないと言われているそうです)。

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幕府は世良田東照宮とその別当として祭祀にあたる長楽寺を篤く保護しました。長楽寺の寺領百石に加え、東照宮に神領二百石、合わせて三百石の朱印地を与え、東照宮社殿の修理保全は全て幕府が行い、祭典の費用も負担しました。
東照宮周辺の村々にも恩恵がありました。幕府は神領を灌漑するために用水路を開きましたが、その余水を沿線の村々に与えました。また、近隣の上州13カ村、武州9カ村を東照宮の火の番助郷として防火消火にあたらせ、一般の夫役を免除しました。東照宮の鎮座により地元も栄え「お江戸見たけりゃ世良田へござれ・・・・」と謡われたということです。

世良田東照宮HP

世良田氏(Wikipedia)

人はただ身のほどを知れ草の葉の露も重きは落つるものかな
          徳川家康

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2006年12月 3日 (日)

岩神の飛石 岩神稲荷神社(前橋市昭和町)

前橋市昭和町、群大病院のそばにある「岩神稲荷神社」、別名「飛石稲荷」。その別名のとおり、御神体は周囲60m、地表に出ている高さは約10m、さらに地下に数mは埋もれているという巨岩です。
この岩は赤褐色の火山岩です。飛石と言うからには、どこかの火山から飛んできたのでしょうか? さすがに火山から飛んできたのではなく、押し流されて来たようです。
赤城山の山頂が崩落し板東橋付近に押し出され、その後の大洪水によって運ばれたという説と、浅間山が崩落し、同じように洪水によって流されて来たという説があるようです。どちらにしても、こんな巨大な岩をここまで運んだ自然の力というのは恐ろしいものです。この巨岩は国指定の天然記念物となっています(昭和13年12月指定)。

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これだけの巨岩ですから、人々の信仰の対象となるのは当然だったと思います。岩神の飛石ににまつわる伝説も残されています。
昔、石工達がこの岩を石材として利用しようと考え、岩にノミを入れたところ、そこから真っ赤な血が噴き出し、石工達は逃げ出した。地元の人達はそれを神のたたりと信じ、岩を恐れ、ここに神社を建てたという話です。

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岩神稲荷神社の境内には大きないちょうの木があり、紅葉の盛りでした。風が吹けばいちょうの葉っぱの大乱舞になるでしょうね。

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ところで、この巨岩がこの辺りの地名の「岩神町」の由来であることは容易に想像できるのですが、現在の住所表記では岩神稲荷神社の住所は「昭和町」となっています。(川を隔ててすぐ隣は岩神町なんですが)。

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岩神稲荷神社(飛石稲荷)
 前橋市昭和町3-29 地図

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2006年12月23日 (土)

虎姫観音 (前橋市大手町)

県庁の西、利根川河畔に六角形の小さなお堂があります。「虎姫観音堂」です。お堂の中には美しいお顔の漢音さまが祀られています。
この「虎姫観音(お虎観音)」には悲しく、恐ろしい「お虎伝説」と呼ばれる話が伝わっています。

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前橋城の西、利根川の流れが城に突き当たるところは「お虎が渕」と呼ばれておった。(旧競輪場跡あたり)
前橋城主が酒井氏の頃、城中に「お虎」と呼ばれる美しい女子がおったそうな。お虎は赤城山麓の農家の娘だったが、殿様が鷹狩りの際にみそめられ、城に召されたそうじゃ。
殿様はお虎をたいそう気に入り、いつも身近において身の回りの世話をさせておったそうな。
こうなると、城中のお呼びがかからなくなった奥女中たちは嫉妬にかられ、お虎のアラを探し難癖をつけようとするのじゃが、お虎にはつけいるような欠点がなかったのじゃ。
それがまた奥女中たちの癪に障り、嫉妬の炎はますます燃え上がるばかりじゃった。
そこで、奥女中たちはとんでもない悪だくみ考えおった。
なんと、殿様のご飯茶碗に折った針を忍ばせたんじゃ。
給仕役のお虎は、何も知らずに針の入ったお椀を殿様の前に・・・・・
「何じゃ、これは、何でこのようなものが余の椀に入っておるのじゃっ!」と殿様は激怒。
何のことか全く分からず、うろたえるお虎。
奥女中たちはすかさず、「お虎が殿様の暗殺を企んだのでございますっ!」
(こんな、ウソに引っかかるのはよほどのバカ殿だと思うが)
こうして無実の罪を着せられたお虎はヘビやムカデを詰めた木箱に押し込められ、生きたまま利根川に沈められたんじゃ。
お虎は木箱の中で「この報い思い知らせてやる~」とうめきながら渕の底に沈んでいったんじゃと。
その後のことじゃ。毎年秋には利根川は洪水となり、前橋城の西端は川に欠け落ち、ついには本丸まで崩れ落ちてしまったのじゃ。
人々は、これはお虎のたたりじゃ、怨念に違いないと思ったそうじゃ。そしてお虎の怨霊を鎮めるために近くの寺に「お虎稲荷大明神」として祀ったそうな。
そして、今では「虎姫観音」として利根川の岸にお祀りされておるんじゃ。

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この観音様には「ボケ封じ」の御利益もあるそうです。はい、私ももちろんお願いしました。(手遅れ?)

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(虎姫観音堂はお堂脇の木が倒れ、屋根が破損したため、現在ブルーシートがかけられています)

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2007年1月 2日 (火)

産泰神社 (前橋市下大屋町)

家族での初詣は元日に前橋市下大屋町の「産泰神社」へ行くのが恒例となっています。
地元では「産泰さま」と呼ばれ親しまれている神社です。主祭神は木花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)で安産と子育ての信仰を集めています。このため、初詣に訪れる人達も家族連れや若いご夫婦(特に奥さんご懐妊中)がほとんどです。
我が家も奥さんが長女を身ごもったときの安産祈願以来、ずっと産泰さまにお世話になっています。

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神社の創建は履中元年(400年?)とも言われていますが不明です。しかし、社殿の背後に岩神稲荷神社にあるような巨石が鎮座し、巨石信仰に起源があるとみられるため、信仰の歴史はかなり古いと推測されています。

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産泰神社の建物と敷地は県の重要文化財に指定されており、4月18日の例祭に奉納される太々神楽は市の重要無形文化財に指定されています。

産泰神社太々神楽 (前橋市HP)

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