群馬の県庁所在地「前橋」の旧名は「厩橋(まやばし)」。
この地に長野氏が「厩橋城」(元禄年間に「前橋城」と改称)を築いたのは15世紀末のことです。
戦略上重要な地にあった厩橋城の主はその後、目まぐるしく替わります。
戦国時代には上杉謙信の関東進出の拠点とされましたが、謙信の死後は武田勝頼が支配。武田氏滅亡後は織田信長により滝川一益の与えられました。
信長の死後、小田原の北条氏が支配しましたが、豊臣秀吉の北条攻めの後、関東が徳川家康に与えられると家康の家臣平岩親吉が入城しました。
関ヶ原の戦いの後、家康は親吉を甲府に移し、川越の酒井重忠に3万3千石を与え、厩橋城主としました。
このとき、家康が重忠にこう言ったと伝えられています
『汝に“関東の華”をとらす』
宇都宮城(栃木県)、忍城、川越城(埼玉県)と並び『関東四名城』に数えられる前橋城。しかし当時の姿を伝える遺構はほとんど残っていません。
本丸跡に建つ県庁。
その周辺には土塁が残っています。
大手町2丁目の日経新聞前橋支局の裏にある「前橋城車橋門跡」。
石垣と石垣の間が狭いと感じますが、区画整理のために移動したからです。元はこれよりも8m広かったそうです。
酒井氏が9代150年にわたって城主をつとめた後、松平氏が入城しました。しかし、利根川の洪水により、城の浸食が進んだため、明和4年(1767年)城主は川越に移ってしまいました。
前橋は99年間廃城の状態が続きましたが、慶応3年(1868年)に城が再建され、松平氏が再び前橋城に戻りましたが、間もなく明治維新を迎えました。
前橋城の再建にあたっては、生糸貿易で潤った領民の献金や、労働奉仕も行われたということです。
関東の華「前橋城」(「好きです前橋」第6号1997年7月発行)
“関東の華”と称された前橋城の姿を見ることは今ではできませんが、『関東の華』という美味しい地酒があります(^^)
聖酒蔵HP
そういえば、前橋城が利根川の流れによって崩れたのは“お虎”の怨念という伝説もありましたっけ。
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今日の冷たい北風に吹かれて散ったイチョウの葉
冬が来たなぁ
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