歴史

2008年7月 6日 (日)

山上城跡公園のあじさい (桐生市新里町)

桐生市新里町山上にある山上城跡公園(県指定史跡)のアジサイが満開です。

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山上城は藤原秀郷の子孫、山上五郎高綱による築城とされています。その後の戦国の動乱の中で支配者は目まぐるしく変わり、16世紀末に廃城となりました。
規模は東西220m、南北650m。北から南へ笹郭・北郭・本丸・二の丸・三の丸・南郭と一直線に並ぶ並郭構造を成しています。西側には空堀を隔てて帯郭があります。
ここは当時の城の様子が比較的良好に保存されている貴重な史跡です。

“兵どもが夢の跡”は現在では、ローラー滑り台やロープクライミングなどの遊具、芝生広場が整備された公園になっており、冬はロウバイ、夏はアジサイの花の名所でもあります。

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アジサイは山上城の空堀跡を利用した約400mの散策路に沿って植えられています。

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ハグロトンボがたくさん飛んでいました。
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山上城跡公園 桐生市

山上城跡 桐生市

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2008年5月21日 (水)

偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる

混乱の幕末において日本の近代化に大きな役割を果たした小栗上野介忠順。その数ある業績の一つに横須賀造船所の建造があります。

横須賀造船所の建造にあたって「幕府の運命もなかなかむつかしい。費用をかけて造船所を造ってもそれが出来上がる時分には幕府はどうなっているかわからない」と言った幕臣に対し、小栗は「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない」と語りました。

その言葉のとおり、日露戦争の英雄・東郷平八郎は小栗上野介の遺族を自宅に招き次のように述べたそうです。
「日本海海戦で完全な勝利を得ることができたのは、小栗上野介さんが横須賀造船所を造っておいてくれたおかげです」。

司馬遼太郎が「明治の父」と記した小栗上野介。
彼の終焉の地は高崎市倉渕町にあります。

慶応4年、幕府の要職を退いた小栗は領地の上州権田村(高崎市倉渕町)に隠遁、教育や水田整備など村人のために熱心な活動をおこない、平穏に暮らしていました。
しかし、彼の実力と考え方に不安を抱く西軍に無実の罪を着せられ逮捕殺害されてしまいます。

小栗が斬殺された場所、烏川に架かる水沼橋の脇にある石碑。

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『偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる』
昭和7年に地元の有志によって建てられた顕彰慰霊碑にはそう刻まれています。

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小栗上野介(小栗上野介顕彰会)

小栗上野介と東善寺(高崎市)

小栗上野介 ~倉渕に眠る幕末の偉人~ (グッドぐんま)

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2008年1月30日 (水)

雙林寺の七不思議 (渋川市)

国道17号線、渋川市中郷の“子持入口”を斜め左に入り、「ロウバイの郷こもち」へ向かう途中に立派なお寺が見えたので、ロウバイを見た後に寄ってみました。

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その寺は曹洞宗の名刹「最大山春日院 雙林寺(双林寺)」。宝徳2年(1450年)に白井城主長尾景仲が一州正伊を迎え開基したと伝えられ、開山は一州正伊の師、月江正文禅師。

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創立当時、この寺の僧侶は2千人を下らず「雙林の水を呑まざる者は、禅僧にあらず」とまで言われました。太田道灌が江戸城を築くにあたって祈祷の委嘱があり、正文禅師は一州正伊を代理とし100余人の僧侶をつけて祈祷させたという話も残っています。

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この寺には「雙林寺の七不思議」が伝わっています。
 一.開山の一つ拍子木
 二.蛇頭水(竜神水)
 三.千本樫
 四.開山のつなぎカヤ
 五.忠度(ただのり)桜
 六.山門小僧と総門のツル
 七.底なし井戸(鏡の井戸)

千本樫
「一株から無数の支幹がはえ、この木は絶対に切ることができない。もし切ると寺か住職に災難がくる。」

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本堂の裏にあるアラカシで、県の天然記念物に指定されています。切り株からひこばえが生育したもので、根元は1本に合わさり、そこから何本もの支幹が繁っています。

雙林寺の千本カシ

開山のつなぎカヤ
「ご開山さまがカヤの実で作った数珠を持参され、それを庫裏の横に蒔いたら大木となり、その実に針糸の穴がある。」

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このカヤも県の天然記念物に指定されている巨木で、推定樹齢は500年。

雙林寺の大力ヤ

山門小僧と総門のツル
「夜、小僧が出て難問答を仕掛け、大鳥がでては荒らすので戒めの打撃をなした。翌朝、山門の小僧に腕なく総門のツルの足に穴があいていた。」

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底なし井戸(鏡の井戸)
「この井戸をのぞいて顔がうつらないと“即刻死す”と言われる」

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七不思議の中で一番コワイ話ですね。井戸を覗いてみたかですって?
怖くて覗けませんでしたよぉ(^^;)

常に二千人は下らぬ修行僧がいたという創建当時とは変わって、今はひっそりと落ち着いた佇まいの雙林寺境内。エナガが木に残った柿をついばんでいました。

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雙林寺の地図

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2008年1月23日 (水)

前橋プラザ元気21

前橋市街地の大型空き店舗を改装して昨年12月8日にオープンした『前橋プラザ 元気21』。先日の日曜日に初めて行ってきました。

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地下1階、地上7階の建物の中には、子供図書館、中央公民館、前橋コンベンション協会などが入っています。カフェや子供の遊び場もあって、結構賑わっています。

現在1階の“にぎわいホール”では、前橋、高崎の古代文化財を紹介する『東国千年の都展』が開催されていました。

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群馬県内に存在する古墳の規模、数、埴輪、副葬品などから「上毛野国(かみつけのくに)」と呼ばれた古代の群馬は東国の中心地であったことが分かります。

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この文化財展は前橋と高崎で行われます。元気21での展示は今日まででしたが、高崎では高崎シティーギャラリーを会場に1月26日(土)から2月4日(日)まで開催されます。

東国千年の都展

前橋プラザ元気21内には3月に地元大手スーパーがオープンし、4月には医療福祉専門学校が開校する予定です。
この施設は中心市街地へ人を呼び戻す起爆装置になるのか? 気になります。
ここから中央通りなどの中心商店街へ人を上手く回遊させることが出来るか否かがポイントでしょうか。

前橋プラザ元気21オープンまで、前橋市にぎわい観光課、ザスパーク前橋があった「旧麻屋デパート」を裏側からみたところ。

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麻屋デパートは戦前に建てられた鉄筋コンクリート3階建ての建物。昔は県内外の人が遠くから足を運ぶ“憧れのデパート”だったそうです。
今は裏側から見ると“廃墟”のようにも見えますが、なかなかイイ味があります。なにか面白い活用法があるんじゃないかと思うのだけれど・・・。

前橋プラザ元気21

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今日、前橋では雪が降りました。

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でも、全然積もらず。雪遊びをしたがっていた子供はガッカリ。

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2008年1月16日 (水)

剣聖 上泉伊勢守 ~今年は生誕500年~

前橋市上泉町の上泉自治会館の隣に建つ「上泉郷蔵」(県史跡)。

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天明の大飢饉を教訓に飢饉対策として寛政8年(1796年)に前橋藩が設置した食糧備蓄倉庫です。明治42年(1909年)まで使用され、その後も保存されてきましたが、老朽化がすすみ倒壊の恐れがでてきたため、平成3年(1991年)に全面解体修理が行われました。
このような郷蔵は各地に設置されましたが、現存するものは少なく(県内3カ所)、貴重な史跡です。

上泉郷蔵のある周辺は上泉城址で、郷蔵付近は本丸、二の丸でした。上泉城の城主は大胡氏の一族である上泉氏です。

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戦国時代、大胡城、上泉城の城主だった上泉伊勢守秀綱(武蔵野守信綱)は『剣聖』と称される偉大な剣術家です。

上泉伊勢守と聞いてもピンとこない人も多いと思います(実は私も最近までその一人)が、「新陰流」、「柳生新陰流」、「柳生宗厳(石舟斎)」などは聞いたことがあると思います。

上泉伊勢守は新陰流の創始者であり、全国を巡りながら新陰流を広めました。柳生宗厳は伊勢守との試合に敗れた後、上泉伊勢守に弟子入りし、新陰流を学びました。時代劇でよく聞く柳生新陰流の流祖は上泉伊勢守なんです。

詳しくは
 ↓
Wikipedia
  上泉信綱
  柳生宗厳
  新陰流

上泉郷蔵の西に「西林寺」というお寺があります。

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ここには上泉伊勢守のものと伝えられるお墓があります。

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上泉伊勢守秀綱が生まれたのは永正5(1508年)。今年は生誕500年にあたります。
池波正太郎が上泉伊勢守の勇壮な生涯を描いた「剣の天地」でも読んでみようかな。

上泉伊勢守顕彰・生誕500年祭実行委員会

上泉郷蔵(じゃらんnet)

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2008年1月 9日 (水)

縁起だるま

高崎少林山のだるま市をはじめとして、各地で新春のだるま市が開催されています。
今日は前橋のだるま市「前橋初市」でした。

私は行かなかったのですが、子供たちは学校から帰るとすぐに前橋初市に行き、ちっちゃなだるまを買ってきました。

両目の入った去年のだるま。まだ目の入っていない今年のだるま。

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子供たちはどんな願いを込めて目を入れるのかなぁ?
今年も子供たちを見守っていて下さいね、だるまさん。

全国の縁起だるまの8割を占める高崎だるま。
年の初めに家内安全、商売繁盛、志望校合格等々、様々な願いをかけながら片目に墨を入れ、願いが叶ったり平穏無事に一年を過ごせたら、感謝の気持ちでもう片方の目入れます。
この風習は養蚕と縁があります。

蚕がふ化や脱皮することを“起きる”、繭をつくることを“上がる”ということから、転んでも起き上がるだるまは養蚕のお守り、豊蚕の縁起物とされてきました。
蚕の起きが良いようにとの願いを込めて片目を入れ、良い繭が出来ると、もう一方の目を入れて祝ったのが、だるまの目入れの始まりと言われています。

(参考)
眼入れの順序
 願いごとを決めたら、まず向かって右(だるまさんの左目)に墨を入れてください。
 そして、願いごとが達成されたら感謝を込めて反対の目を入れます。
(まぁ、右でも左でもだるまさんはそんなことにこだわらず願い事をきいて下さると思いますが・・・、一応。)

高崎だるまと少林山(高崎市)

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2008年1月 5日 (土)

水沢観音

お正月は神社仏閣ネタが多くなります・・・
今日は伊香保温泉に近い水沢観音にお参りに行ってきました。

坂東三十三観音霊場の第十六番札所、五徳山水澤寺。「水沢観音」の名で親しまれ、広く信仰されているこのお寺は、推古天皇・持統天皇の勅願により開基されたと伝えられる天台宗の古刹。ご本尊は七難即滅七福即生のご利益があるという十一面千手観世音菩薩です。

仁王門

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本堂

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私は何度か来たことがありますが、家族揃ってのお参りは初めてです。さすがに有名なお寺だけあって今日もたくさんの参拝者が訪れていました。

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本堂に向かって右手にある二重の塔が「六角堂」。(県重要文化財)

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六角堂の内部には1階部分に地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の六道を守る地蔵尊が祀られ、二階部分には大日如来が鎮座しています。そして、六地蔵尊が安置されている部分が回転するという面白い構造になっています。

お地蔵様が廻ります

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地元の氏神様、産泰神社、水沢観音と3カ所の神様、仏様にお参りした今年のお正月。きっと良い年になるはずでございます・・・。

水沢観音HP

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渋川市総合公園から眺めた赤城山

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2008年1月 2日 (水)

初詣そして上毛かるた ~ぐんまの正しいお正月~

我が家では元日に前橋市下大屋町の「産泰神社」(産泰さま)へ家族揃って初詣に行くのが恒例となっています。
安産と子育てにご利益のある産泰神社の主祭神は木花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)。 木花佐久夜毘売命といえば、サクラの語源になったという説もある神様ですね。

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この神社には奥さんが長女を身籠もったときの安産祈願以来、ずっとお世話になっており、今でも子供たちの健康と家内安全をお願いしています。

社殿は西を向いています。産泰神社は前橋藩主酒井氏の尊祟が篤かったことから、前橋城を守護するために城のある方角に向けて社殿を建立したからだと言われています。

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さて、ぐんまのお正月といえば『上毛かるた』。60年以上の伝統のある郷土カルタです。

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小学6年生の長女と対戦しましたが、全く歯が立ちません。何度やっても大差をつけられてしまいます。
次に小学3年生の次女と対戦。
昨年までは手加減して2回に1回くらいわざと負けてやっていました。今年も対戦前には「ハンデつけてやるよ(^^)」なんて言っていたのですが、実際にやってみるとハンデどころじゃありません。真剣にやっても5回に1回くらいしか勝てません(^^;)
う~ん、やはり現役小学生は強い・・・

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“ち”の札が「力合わせる170万」だったり「180万」だったりした皆さま、お子さんたちに勝てますか?

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2007年12月27日 (木)

冬の敷島公園 ~お艶が岩~

今日は、風もなく穏やかな日だったので昼休みに敷島公園を散歩。

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ボート池は冬季休業中。オナガガモやカルガモがいました。

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ボート池と道を隔てて南側にある池には、赤みを帯びた大きな岩があり、「お艶が岩(おえんがいわ)」と名付けられています。
昨年紹介した「岩神の飛石」に似た感じの岩です。
約20万年前に起こった赤城山の大爆発で山頂部が崩壊した際に崩れた岩の一部と言われています。

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見るからに、伝説がありそうな雰囲気の岩です。
「お艶」は女性の名前、多分悲恋の話だろうと容易に想像できますが、そのとおり。
『その昔、お艶という美しい娘が、利根川の対岸に住む青年に恋をした。
はじめは川を越えて会いに来ていた青年だが、次第に熱が冷めてついには姿を現さなくなってしまった。
お艶はこれを悲しみ、この岩から恋人の名を呼びつつ身を投げた』
という話が伝わっています。

そして、もう一つ、この岩にまつわる驚くような伝説があります。
この岩のある池の畔に建つ「お艶観音」の横に、その伝説を刻んだ石碑があります。

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『この〝お艶が岩〟には、こんな話が伝えられています。
「お艶とは」、実は〝淀君〟だったということです。淀君といえば豊臣秀吉の側室で、慶長二十年(一六一五)大阪夏の陣に際し、わが子秀頼とともに大阪城の天守閣で炎の中、自刃したと伝えられています。
ところが、対岸にある元景寺に伝わる話によりますと、淀君は、大阪夏の陣に出陣した総社城主秋元長朝の陣に助けを求めてきました。
長朝は、淀君を篭に乗せ木曽路を通り総社に帰りました。
もちろん当時、淀君をかくまったとあっては、たいへんなことですから、〝大橋の局御縁〟と呼んでいました。
その後、幾星霜、この城でなに不自由なく過ごしていた淀君でしたが、過去の悲哀に耐えきれず、遂には世をはかなんで、この岩の上から利根の激流に身を投じたといいます。
この〝御縁〟が語りつがれていくうちにいつしか〝お艶〟にかわり、だれいうことなく、この岩を〝お艶が岩〟と呼ぶようになったいうことです。
総社の元景寺には、〝淀君の墓〟といわれるお墓があり、淀君が使ったという、お篭も残っています。』

両方の伝説とも利根川対岸の総社地区と関連しているのも興味深いことです。
前橋の淀君のお墓にも今度行ってみよう。

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おまけ

集合!

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整列!

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ムクドリ軍団

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2007年12月 4日 (火)

関東の華 ~前橋城~

群馬の県庁所在地「前橋」の旧名は「厩橋(まやばし)」。
この地に長野氏が「厩橋城」(元禄年間に「前橋城」と改称)を築いたのは15世紀末のことです。

戦略上重要な地にあった厩橋城の主はその後、目まぐるしく替わります。

戦国時代には上杉謙信の関東進出の拠点とされましたが、謙信の死後は武田勝頼が支配。武田氏滅亡後は織田信長により滝川一益の与えられました。
信長の死後、小田原の北条氏が支配しましたが、豊臣秀吉の北条攻めの後、関東が徳川家康に与えられると家康の家臣平岩親吉が入城しました。

関ヶ原の戦いの後、家康は親吉を甲府に移し、川越の酒井重忠に3万3千石を与え、厩橋城主としました。
このとき、家康が重忠にこう言ったと伝えられています

『汝に“関東の華”をとらす』

宇都宮城(栃木県)、忍城、川越城(埼玉県)と並び『関東四名城』に数えられる前橋城。しかし当時の姿を伝える遺構はほとんど残っていません。

本丸跡に建つ県庁。

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その周辺には土塁が残っています。

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大手町2丁目の日経新聞前橋支局の裏にある「前橋城車橋門跡」。

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石垣と石垣の間が狭いと感じますが、区画整理のために移動したからです。元はこれよりも8m広かったそうです。

酒井氏が9代150年にわたって城主をつとめた後、松平氏が入城しました。しかし、利根川の洪水により、城の浸食が進んだため、明和4年(1767年)城主は川越に移ってしまいました。

前橋は99年間廃城の状態が続きましたが、慶応3年(1868年)に城が再建され、松平氏が再び前橋城に戻りましたが、間もなく明治維新を迎えました。
前橋城の再建にあたっては、生糸貿易で潤った領民の献金や、労働奉仕も行われたということです。

関東の華「前橋城」(「好きです前橋」第6号1997年7月発行)

“関東の華”と称された前橋城の姿を見ることは今ではできませんが、『関東の華』という美味しい地酒があります(^^)
聖酒蔵HP

そういえば、前橋城が利根川の流れによって崩れたのは“お虎”の怨念という伝説もありましたっけ。

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今日の冷たい北風に吹かれて散ったイチョウの葉

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冬が来たなぁ

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