ぐんまの人

2008年5月21日 (水)

偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる

混乱の幕末において日本の近代化に大きな役割を果たした小栗上野介忠順。その数ある業績の一つに横須賀造船所の建造があります。

横須賀造船所の建造にあたって「幕府の運命もなかなかむつかしい。費用をかけて造船所を造ってもそれが出来上がる時分には幕府はどうなっているかわからない」と言った幕臣に対し、小栗は「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない」と語りました。

その言葉のとおり、日露戦争の英雄・東郷平八郎は小栗上野介の遺族を自宅に招き次のように述べたそうです。
「日本海海戦で完全な勝利を得ることができたのは、小栗上野介さんが横須賀造船所を造っておいてくれたおかげです」。

司馬遼太郎が「明治の父」と記した小栗上野介。
彼の終焉の地は高崎市倉渕町にあります。

慶応4年、幕府の要職を退いた小栗は領地の上州権田村(高崎市倉渕町)に隠遁、教育や水田整備など村人のために熱心な活動をおこない、平穏に暮らしていました。
しかし、彼の実力と考え方に不安を抱く西軍に無実の罪を着せられ逮捕殺害されてしまいます。

小栗が斬殺された場所、烏川に架かる水沼橋の脇にある石碑。

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『偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる』
昭和7年に地元の有志によって建てられた顕彰慰霊碑にはそう刻まれています。

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小栗上野介(小栗上野介顕彰会)

小栗上野介と東善寺(高崎市)

小栗上野介 ~倉渕に眠る幕末の偉人~ (グッドぐんま)

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2007年9月29日 (土)

老農 船津伝次平

上毛かるた「老農 船津伝次平」と詠われている船津伝次平翁。
群馬県での知名度は抜群に高い有名人物ですが、どんな人物だったか知っている人は少ないのではないでしょうか。

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船津伝次平は日本三大老農の一人。「老農」とは、農業を研究し、それに体験を重ねて高い農業技術を身に付けた農業指導者のことを言います。

天保3年(1832年)、勢多郡原之郷(現:富士見村)の名主の家に生まれました。
伝次平が生まれた船津家には「田畑は多く所有すべからず、又多く作るべからず」という家訓があり、寄生地主化への道は意識的に選ばず、養蚕を軸とした商業的農業を営むなかで、和算、漢学、俳諧といった文化に積極的に関わり、寺子屋を開設するなど、地域文化の核としての役割を果たしていました。

そのような環境の中で、地域の農民の教育や農業改良普及に尽力した伝次平は父親の死後、若くして名主を継ぎ、広く村民に愛されるようになりました。その名声は明治政府にまで届き、請われて駒場農学校の教官になりました。

駒場農学校では西洋農法と日本農法のよいところを併せ持つ混同農法(船津農法)を生み出します。
さらにその後、農事試験場技師に就任し、全国を駆け巡りながら新しい農法を普及し、日本農業の近代化に大きく貢献しました。

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明治31年(1898年)6月15日、郷里で亡くなりました。享年66歳。
お墓(県指定史跡)は富士見村原之郷にあります。

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こちらも参考に
       ↓
明治の老農 船津伝次平〈上〉
明治の老農 船津伝次平〈中〉

明治の老農 船津伝次平〈下〉
石井泰吉著『船津伝次平翁伝』解説

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2007年5月17日 (木)

「幕末の写真師夫妻 島霞谷と島隆」展 (群馬県立歴史博物館)

高崎市の「群馬の森」にある県立歴史博物館では6月3日まで企画展「幕末の写真師夫妻 島霞谷と島隆」を開催中です。

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島霞谷(かこく)(1827~1870年)は幕府の洋学教育機関「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」勤務などを経て、写真、油絵などで才能を発揮、日本初の金属活字を製作するなど、多才な人物で「和製ダビンチ」とも称されています。

その妻、隆(りゅう)は、1823(文政6)年、現在の桐生市に生まれた日本初の女性写真家です。
18歳の頃、一橋家の祐筆(秘書)になるため江戸に上り、そこで島霞谷と知り合い、32歳で結婚。霞谷から写真術を習いました。
霞谷は残念なことに若くして亡くなられましたが、隆は夫の死後、故郷の桐生で写真館を開業しました。

今回の企画展では、島家から寄託された約2,000点の資料の中から写真や油絵など130点が展示されています。

島霞谷と島隆については、今回の企画展で初めて知りました。
展示品の数々を見て、芸術家、技術者としての島霞谷の才能にはもちろん感心しましたが、幕末から明治に群馬県出身の島隆が日本初の女性写真家として活躍していたということには驚かされました。

群馬県立歴史博物館

おまけ
群馬の森の入り口にあったトチノキの花

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例年ですと敷島公園のばら園も見頃を迎える頃ですが、ばら園は平成20年3月末まで閉園中です。

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2007年2月19日 (月)

小栗上野介 ~倉渕に眠る幕末の偉人~

安中市松井田町の木馬瀬(ちませ)の福寿草自生地にも伝わっている埋蔵金伝説。各地に残る幕府軍用金の埋蔵金伝説の主役、小栗上野介(小栗忠順)のお墓は高崎市倉渕町権田にあります。木馬瀬で福寿草を見たあと、訪ねてみることにしました。

木馬瀬から、倉渕方面へ県道を道なりに行くと、地蔵峠。峠を越えてさらに走ると、国道406号線につきあたります。その正面にあるお寺が、小栗上野介が眠る「東善寺」です。

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小栗上野介は、当時の大老井伊直弼に、まれにみる逸材と認められ、万延元年(1860)34歳の時に日米修好通商条約批准のため、米艦ポーハタン号で渡米、地球を一周して帰国。その後、幕府の要職を歴任し、数々の業績を残しました。

慶応3年(1867)の大政奉還、鳥羽伏見の戦いと続く幕末の動乱の中で、江戸城内では主戦派と恭順派の意見が割れていました。小栗上野介を無謀な主戦派というのはあたりません。彼には勝算のある作戦がありました。しかし、慶応4年1月に将軍慶喜の面前で開かれた大評定では、主戦論は受け入られず、小栗は勘定奉行を罷免されてしまいます。

一線を退いた小栗はわずか30名ほどの家臣を連れて、同年3月1日に知行地の一つであった上州権田村(高崎市倉渕町権田)へ土着します。その数日後、千人もの暴徒が権田村を襲いますが、小栗と家臣はこれを撃退。以後、教育や水田整備など村人のために熱心な活動をおこない、平穏に暮らしていました。

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ところが、権田村で暮らし始めてから、わずか2月後、小栗上野介は西軍に無実の罪を着せられ、捕らえられます。そして何の取り調べもないまま、烏川の水沼河原で斬殺されてしまいます。
この時、小栗は数え42歳。“日本の近代化の父”とも称される幕末の偉人は、烏川の露と消えていきました・・・・・

(小栗上野介忠順については、あまりにも話がたくさんありすぎて、ここには書ききれません。もう少し勉強してから、再度、紹介したいと思います。)

小栗忠順(Wikipedia)

小栗上野介(旧倉渕村教育委員会)

小栗上野介連続講座(群馬県HP)

東善寺HP

【おまけ】
木馬瀬から倉渕の「東善寺」へ向かう途中で道路を横断していたサルに遭遇。車を降りてカメラを向けても慌てる風もなく悠々と畑を通り、山の方へ歩いていきました。周囲に人家もある場所だったので、ちょっとびっくり。

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2007年2月 3日 (土)

豊武神社の節分祭(伊勢崎市大正寺町)

今日は節分。伊勢崎市大正寺町にある「豊武神社」で開催された節分祭に行ってきました。

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明治42年に周辺の7社を大正寺町の八幡宮に合祀し、その地区の名前、富塚、除ヶ、大正寺、下道寺の頭文字「と・よ・た・け」から「豊武神社」としたのがこの神社の名前の由来です。

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「豊武神社節分祭」は、この豊武神社に縁のある富塚、除ヶ、大正寺、下道寺の4町の満四十歳を迎えた男達(年男)が男の大厄である数え四十二歳の厄払いの儀式として運営しています。今回で96回を迎える伝統ある地域の行事です。
節分に有名人が豆まきをする大きな寺社はありますが、費用も含め運営をその地域の中堅が自主的に行う氏神様の節分祭というのは珍しいのではないでしょうか。

豊武神社の境内は詰めかけた地域の人達で埋め尽くされていました。

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打ち上げ花火を合図に豆まき開始。年男は背広に裃という出で立ちです。

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年男の皆さんは、昨年から1年をかけてこの祭の準備をしてきました。このような地域の伝統的な活動が生きている豊武地区って、とても素晴らしいと思います。

「第96回豊武神社節分祭」が行なわれました(My town いせさき)

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2006年12月30日 (土)

ブルーノ・タウト

高崎市南町にある「九重ねぼけ堂」の『ブルーノ・タウト』。表面に白双糖がまぶされサクッとした食感の皮、そしておへそのクルミの風味がおいしい焼き菓子です。中にはホクホクした黄身餡。私の実家ではお土産によく使っていました。

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このお菓子の名前の由来はもうお分かりでしょうが、日本を愛したドイツの世界的建築家ブルーノ・タウト
タウト(1880-1938)は、ジャポニズム、アールヌーボーを通して日本に関心を持っていました。ドイツ国内でのナチスの台頭を避け、1933年に来日。来日後日本国内を転々としていましたが、1934年から1936まで高崎市の少林山達磨寺境内にある洗心亭に住み、群馬県工業試験場高崎分場で地方工芸の指導にあたりました。また、滞在中に竹などの日本の伝統的な素材と技法を活かし独創性に富んだ工芸作品を発表しています。
タウトが住んだ洗心亭は、高崎ダルマで有名な少林山達磨寺境内に今も残されています。

少林山達磨寺

高崎だるまと少林山 (高崎市HP)

九重ねぼけ堂 (上生菓子やカステラも美味しい)

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2006年11月27日 (月)

志田俊子さん ~群馬の食文化~

県庁で定期的に開催されている「ぐんまを語る連続講演会」。今回は「群馬の食文化」という演題で明和学園短期大学客員教授の志田俊子さんが講演されました。
群馬の食文化研究と言えば真っ先に名前が出てくるのが今回の講演者の志田俊子さんです。全国の食文化についてまとめた日本食生活全集(農文協)の「聞き書き群馬の食事」の主著者で、NPO法人「群馬の食文化研究会」の理事長も務めています。
志田さんの食文化研究のきっかけとなったのは一つの新聞記事。それは「‘ふるさとの味’の文化財指定を目ざす」という長野県の例を取り上げたものだったそうです。

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人が生きていく基本的な条件は「衣食住」と言われますが、衣と住は文化財として認められているのに、命にとって本当に不可欠な「食」については一般的に文化財としてして認められていません。志田さんは食文化を文化財として保護、継承していかないと将来大変なことになってしまうと警告しています。長野県、滋賀県などではすでに伝統の食文化を食の文化財として指定する取り組みをしているそうです。
群馬県にもいいものがたくさんあるのに、その価値をPRしていないのはもったいないことだとも言われていました。

講演の最後に、「食文化は日々の生活の中で育まれる。食は命の基本、体を作り心を繋ぐもの。」という言葉で講演を結ばれました。

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☆ ☆ ☆ ☆ ☆

県庁1階の県民ホールでは「県花品評会」が開催中でした。シーズンを迎えたシクラメンを中心に鉢植えの花がたくさん並べられ、ホールは花の香りでいっぱいでした。
品評会の展示は28日(火)14:00まで。同時に生産者による直売も行われます。

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Pb270008 知事賞のミニシクラメン「ウインクピンク」

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2006年10月26日 (木)

内山節さん(哲学者)

県庁で行われた第8回ぐんまを語る連続講演会に行ってきました。今回の講師は哲学者の内山節(うちやま たかし)さんで、演題は『群馬の大地から学んだもの』。
内山さんは立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科教授。存在論、労働存在論、自然哲学、時間存在論を軸として、哲学の研究をすすめています。文化や地域や山村問題にも造詣が深く、講演活動や大学で教鞭を執る傍ら、上野村で古い農家を譲り受けて暮らしています。
その他にも内山さんは、群馬で2001年に開催された第16回国民文化祭の総合プロデューサーや県総合計画策定、「一郷一学塾」の塾頭、県内水面漁場管理委員など、群馬とは縁のある先生です。
実は私も数年間に上野村の内山邸で年末の恒例行事となっている餅つきのお手伝いに行ったことがあるのですが、薪割りや餅つきなど馴れない作業で、へろへろ、ガクガクでした。(あまり戦力にならないで申し訳ありませんでした、内山先生)

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今日は、内山さんが上野村で感じたことや日本とヨーロッパの自然の捉え方の違い、地域での生活で大切なことなどのお話を聞くことがきました。面白いお話でした。
以下は私がノートに走り書きしたメモの断片です。(読んでもよくわからないと思います。自分の備忘録として載せておきます)

・東京世田谷生まれ 幼少より多摩川で魚釣りをしていた
・多摩川は都市化で年々汚れ、周辺の自然も減っていった。人間の活動により、自然や風景が損なわれていくと感じていた。
・二十歳の頃、上野村の風景を見て、人間が暮らしているからこそただの自然より、もっと美しい風景があると気づいた
・石組みの段々畑、夕方家々から立ち上る煙、栗板屋根の家。村人が手作りで作り出した風景。
・上野村に釣りに通いだした
・ある日、上野村の釣り名人に「土を耕しながら生きるってイイもんだよ」と誘われた。
・上野村で畑を耕し始めると、釣りだけをしていた時よりも村人との距離が縮まった。会話に広がりができた
・畑を耕し始めてから数年後、村に住み始めた。以来約30年間、1年のうち1/3は上野村で生活している
・村からはたくさんのことを学んだ
・村の生活は自分で立てた計画だけでは進まない
・「待つ」 何でも待つことから始まる
・例えば種まき。季節を待ち、その時が来たらタネを播く
・植物は何であんなにたくさんの花を付け、実をならすのか?
・それは、動ける生き物と動けない生き物の生き方の違い
・動けない生き物は花を付け虫を呼び、動物を集めるために実をたくさん付ける
・必要なものを自分の周りに呼ぶために花や実を提供する
・地域に根ざした生き方は植物に見習うことがある--地域に自分が何を提供できるか
・自分が村で畑を耕すことができるのは、以前からそこで誰かが畑を作っていたから
・自分の行為が過去の人々の人と自然の営々とした営みに続いている
・畑を耕しながら、秋に赤トンボを見ながら、感じることは、百年前、二百年前の人達が感じていたことと同じ
・村には無名の先人達の生きてきた証がある--風景であり、村自体もそう
・『真理』とは現代では少々ヤバイ言葉となっている--戦争の理由になっている
・「真理」を見つけることはできるのか?
・科学は科学の方法で見つけた真理を語っている。間違いではないが、それが全てではない。
・例えば、子供の成長を表すのに「体重」、「身長」、「学力」と色々な物さしがある。
・しかし、その子が空を見上げた時に感じることも歳とともに成長する。--どう表現するのか
・日本では真理を突き詰めるより丸く収めることを選ぶ傾向
・地域社会を形成してきたのは、自然と人の関係であり、人と人の関係
・私はフランスを日本の比較対象としてきたが、欧州の自然にはあまり力がない。日本の夏の森のような勢いがない。---欧州の自然は回復力が弱い
・そこから自然を管理していくのは人間という考え方が生まれた--人間中心
・日本は自然の本質がよくわからない
・自然の恵みと災い。どちらが本質?
・洪水の後に不作なし。火山(地震)と温泉
・あいまいであり複雑
・何が本質(真理)であるかというより折り合いをつけるということが大切にされる
・災いと恵みの折り合い。その折り合いをつける知識、技術
・『自然』という言葉はネイチャーの訳として明治期にできた
・日本語にはネイチャーに対応する言葉がなかった。--自然界と人間界を分けていなかったから。
・人間も自然も平等だった
・自然(じねん)という言葉はあった--自らそうなっている
・『自』にはみずから(主体的に)とおのずから(しぜんに)という意味が全く違うように感じる2とおりの読み方
・実は意味は違わない
・おのずからやらなければならないことをみずから行う
・おのずからがあってこそのみずから
・群馬は気に入っている。おのずから・みずからの思想が群馬にはまだ残っている
・群馬県の総合計画21世紀プランづくりに係わったが、これは100年計画である
・普通は5年計画が多いが、5年計画では何を作るかということが中心になる
・100年計画では何を作るかは、無意味。
・100年後に何を残すかを後世の人に約束するプラン
・自然、1次産業、手仕事

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おまけ
今日「高崎ナンバー」を初めて見ました。
_1_46 高崎生まれの私はちょっと感動

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2006年10月 1日 (日)

芋掘り 前橋市鳥取町 メダカくらぶ

Pa010006 今日は前橋市鳥取町で3世代交流事業を行っている『メダカくらぶ』主催のサツマイモ掘り。
5月27日にイモの苗を植えた畑で地元の子供達が芋掘りです。

P5270010_1 苗植え(2006.5.27)

Pa010007 Pa010015 今年はサツマイモの生育が良かったので、最初の予定よりも早く収穫することにしました。

農作業のベテランの指導を受け、子供達が収穫作業。サツマイモ畑には子供達の歓声。

Pa010028 たくさん収穫できました♪

Pa010032 芋掘りの後は焼き芋です♪ 水でぬらした新聞紙とアルミホイルでイモを包んで、焚き火の中へ。

Pa010064 おいしく焼けました。2個食べたら満腹。

Pa010050 _1_37 焼き芋会場の近くの6月18日に田植えをした田んぼも収穫間近。

おいしいあきです むしもないてます♪
おいしいあきです むしもないてます♪
(「みのりのあきですよ」作詞:糸井重里 曲:矢野顕子 より)

メダカくらぶ(前橋市HP/一地区一自慢)

Pa010022 おまけ
サツマイモのツルをくるくる丸めて乾燥させてとっておくと、クリスマスリースの土台に使えます。

              

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2006年9月15日 (金)

キャリア・スタート・ウィーク 中学生の職場体験学習 (箱島養鱒センター)

昨今、フリーターの増加が社会問題にもなっていますが、「キャリア・スタート・ウィーク」は、子どもたちの勤労観、職業観を育てるために、中学校において5日間以上の職場体験を行う学習活動です。そして、「キャリア・スタート・ウィーク」は、子どもたちが働くことの喜びや厳しさを学び、学習に対する意欲を向上させるための貴重な体験となることを期待されています。

箱島養鱒センターにも、地元の東吾妻町立東中学校2年生の生徒さん2人が、9月11日から15日までの5日間、キャリア・スタート・ウィークでやって来ました。
陸上部で砲丸投げの選手のK君と卓球部でがんばっているN君です。
               
Img_3765 Photo_10 9月11日の朝、「よろしくお願いします!」と元気な声とともに現れた2人でしたが、さすがに緊張し、表情はこわばっていました。
飼育しているヤマメやニジマスへの給餌作業、飼育池の掃除、魚の測定・計量、魚を入れる生け簀作りなどをやってもらいました。最初はぎこちない体の動きでしたが、若いので飲み込みも早く、2日、3日と日が経つにつれて、なかなかよい動きをするようになりました。

最終日の今日、「5日間、どうだった? 疲れたろう?」と聞くと、笑顔で「はい、疲れました。でも、楽しかったです!」と答えてくれました。
最後の挨拶で「ここで学んだことを大切にしたいと思います。」と言っていましたが、そんなによい経験をさせてあげられたかどうか、私たちにも自信はありません。でも、将来、中学生の時にこんなことがあったな~と思い出してくれればうれしいですね。

K君、N君、5日間、本当にご苦労様でした。これからも、勉強や部活動、がんばって下さい!

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2006年8月 5日 (土)

納涼祭

梅雨明け後もそれほど暑くなく、今年の夏はこんなもんか、などと思っていたら、昨日から急に暑くなりました。

今日は町内会の納涼祭です。明るい時間帯は子供中心のイベント、暗くなると大人の芸達者たちの芸能大会となりカラオケや八木節で大いに盛り上がります。

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夏祭り、アユ釣り、スイカ、カブトムシ・・・・・・。夏はイイな~

(画像をクリックすると大きく表示されます)

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2006年5月31日 (水)

ザスパ草津 訪問サッカースクール (前橋市立芳賀小学校)

今日、前橋市立芳賀小学校でザスパ草津の第一回訪問サッカースクールが行われました。芳賀小学校を訪問したのは植木監督と4名の選手。プロ選手から指導を受けたのは5年生約100人です。

保護者の見学もOKと言うことだったので、奥さんをグッドぐんま特派員として派遣しました。

前橋市長まで駆けつけてのオープニングセレモニーの後、準備運動代わりに選手と児童との鬼ごっこ。そしてドリブルやパスの練習、ミニゲームなどを楽しんだようです。

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私はスクールの様子をNHKローカルや群馬TVのニュースで見ましたが、子供達は楽しそうでしたね。選手の皆さん、ありがとうございました。

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子供達にはザスパ草津からゲームのチケットがプレゼントされました。

ザスパ草津オフィシャルサイト

前橋市立芳賀小学校公式website

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2006年3月23日 (木)

ぐんまのマスコット ゆうまちゃん-Ⅱ

ぐんまのマスコット「ゆうまちゃん」。今回はゆうまちゃんの活躍を紹介します。

Kokutai Photo_52 ゆうまちゃんはスポーツ万能。冬はスキー、夏はサーフィン。

ニューイヤー駅伝Ekiden にだって出場しちゃいます。

Y_hikouki_1 飛行機の操縦だって、できちゃいます。

Tenmondai 天文学にも精通しています。

_1_20 スポーツもできるし成績も優秀。だから女の子にもモテモテです。

_2_12 私と同様、昆虫のことも好きです。

Photo_53 Photo_54 釣りもします。アユ釣りにワカサギ釣り、ルアーやフライだって名人です。特にワカサギに関してはワールドレコードを持っています。10㎏は軽く超す大物です。日本一の釣人って呼んで下さい。Photo_59 Photo_58 

Book_1 そんなゆうまちゃんが大活躍する絵本もあります。「ゆうま三兄弟のゆうこ姫を救え!」。県の食品安全課が作った親子で学べる食育ブックです。そのストーリーは・・・・・・

Img_1283 偏食によるひどい便秘で寝込んでしまったゆうこ姫。医者は色々な野菜をたくさん食べてバナナうんちがでれば直ると言います。ゆうま三兄弟は、野菜を求め、畑を荒らし村人を困らせている大イノシシを退治し、野菜を手に入れ、おいしい料理を作ります。

Img_1287 その野菜料理を食べたゆうこ姫はバナナうんちが出て、すっかり元気になりました。めでたし、めでたし。

「食育ブック ゆうま三兄弟のゆうこ姫を救え!」は、県庁や一般書店で販売されています。詳しくはこちら

そんなスーパーヒーローゆうまちゃんにも、実は強力なライバルがいます。Img_0556 Img_0557

「米ット(こめっと)くん」と「米ティー(こめてぃー)ちゃん」です。

(各写真をクリックすると別ウインドウで大きく表示されます)

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2006年3月17日 (金)

ゆうまちゃん(群馬県のマスコット)

『ゆうまちゃん』は、ぐんまのマスコット。毎月第1日曜発行のぐんま広報や県の各種出版物に登場します。ゆうまちゃんは、平成6年10月に開催された、第3回全国知的障害者スポーツ大会「ゆうあいピック群馬大会」のマスコットとして生まれました。県HPによると、特技は「ダンスにスポーツなんでもOK」、趣味は「人を楽しくさせること」だそうです。ゆうまちゃんがダンスをしている姿は見たことがありませんが、ヒップ・ホップとかやってるのでしょうか?

Takasa2 (群馬県HPより)

群馬県HP内を検索した結果、「ゆうま」で11,700件ヒット。それに対して、県知事の名前「小寺弘之」と入力したらヒット数は492件でした。すごいぞ、ゆうまちゃん!

ゆうまちゃんは毎日新聞社が主催して平成17年1月に行われた「全国対抗キャラクターコンテスト」でみごと優勝したという経歴の持ち主でもあります。毎日新聞社のHP上での投票で競われたのですが、最終の決戦投票の結果は次のとおりでした。

  1. ゆうまちゃん     2,716票
  2. トリピー (鳥取県)  478票
  3. スギッチ (秋田県)  406票
  4. ペロリン (山形県)   319票
  5. すだちくん (徳島県) 245票

決戦投票の総投票数は5,123票だけど、すごいぞ、ゆうまちゃん!

ゆうまちゃん関連グッズもたくさん出ています。ぬいぐるみ(大・中・小・ミニ)、キーホルダー(2種類)、腕時計、デイバッグ、ミニタオル、スプーン、フォーク、ボールペン、シャープペンシル、鉛筆、メモ帳、携帯電話用ストラップ、トランプ、Tシャツ、ネクタイ、絵はがき、マウスパッド。それから「光るゆうちゃんバッジ」なんていうのもあります。スイッチを入れるとダイオードがチカチカ光りを放つというものです。ゆうまちゃんグッズは、県庁や前橋、高崎の県民局の売店などで販売中。_1_19

マウスパッド。自宅で愛用してます。

Photo_51 光るゆうまちゃんバッジ

Hikaru 光ります

また、ゆうまちゃんの着ぐるみは貸し出しもしている(有料)。非営利目的の場合は1,500円。ゆうまちゃんグッズ、着ぐるみについての問い合わせは、県庁・県民センター(027-226-2261)。

(各写真をクリックすると別ウインドウで大きく表示されます)

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2006年2月25日 (土)

敷島公園

荒川静香選手、エキシビションの演技も美しかったですね~。私は「イナバウアー」を「アラカワ」と呼ぶことを提唱しますが、いかがでしょうか?

(※イナバウアー:足を前後に広げ、つま先を外に向けて銀盤を横断する技。荒川は背中を大きく後ろに反らしながら滑る。ジャンプやスピン、ステップなどの技術点には反映されないが、盛り上がる。50年代に3度ドイツ王者に輝いたイナ・バウアーが初披露)

Photo_22 今日は小学校1年生の娘と敷島公園(前橋市敷島町)へ行った。

ボート池には、カモがのんびり泳いでいて、クラッカーのかけらをまくと、集まってきた。その後からは、鯉がたくさん寄ってきて水面の餌をひと飲みにする。もうけっこう水温が上がってきているのだろう。KHVに負けないでがんばってくれよ。Photo_19 Photo_20 Photo_21     

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   敷島公園のバラ園には温室もあって、中は熱帯のジャングルみたいな木々がはえている。ニシキヘビでも放しておけば、よりリアルなんじゃないか思うが、温室内にはヘビは居ないが鳥かごがあって、キバタンが「こんにちは!」と叫んでいる。まぁ、これでも良いか。バナナの木には花?のようなものがあって、青いバナナもたくさんなっていた。温室植物園で青いバナナがなっているのを目にするが、熟すと園の職員の方々のおやつになっているのだろうか?前橋産バナナはいったいどんな味がするのだろうか?(多分、美味しくはないだろうが)

Namazu 温室の一角に水槽があって、熱帯魚が泳いでいる。その1つにはこんな大きいナマズ(多分レッドテールキャットというやつだ)が泳いでいる。1年くらい前に来たときにはカミツキガメなんかもいたんだが、今はいない。特定外来生物法施行で処分されたのかな?

Photo_25 公園内の梅は未だほんのいくつかがほころんでいる程度だった。今年は梅の開花が遅い。各地の梅林も花は遅れているだろう。

Photo_28 園内には詩人萩原朔太郎の生家(現:前橋市千代田町)の一部を移築復元した「朔太郎記念館」がある。また、朔太郎の「帰郷」の詩碑も園内にあります。なんて書いていますが、私も朔太郎についてほとんど知りません。ただ、この「帰郷」という詩は確か中学校(だったかな?)の授業に出てきたので知っていました。学生時代、東京から、たまに群馬に帰ってくるとき、高崎線の電車から外を見ながら「まだ上州の山は見えずや。」なんてつぶやいていました。朔太郎について色々知りたい人は「前橋文学館」へ行かれるとよいでしょう。

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2006年2月19日 (日)

佐藤垢石

佐藤垢石。 

明治21年6月18日 群馬県群馬郡東村(現前橋市上新田町)に生まれる。亀吉と命名される。

明治25年4月 前橋市立桃井尋常小学校入学

明治43年4月 報知新聞社へ就職

昭和3年 前橋支局長を最後に報知新聞社を退社

昭和13年 『釣りの本』出版

昭和21年 釣り人社を起こす

昭和31年7月4日 永眠 享年69歳 戒名 大佛院本覚垢石居士。

主な著書 「たぬき汁」、「魔味談」、「鯰のあくび」、「釣随筆」、「河童閑遊」等々

Kouseki

群馬県出身の有名人は、福田、中曽根、小渕の首相経験者の他、沢山いらっしゃいますが、個人的には一人あげなさいと言われれば、「佐藤垢石翁」ですね。

垢石翁は昭和26年に出版された随筆「釣り随筆」の「利根の尺鮎」のなかで利根川後閑地区のアユをこう評しています「肉がしまっている。香気が高い、背の色が濃藍だ。敏捷であるのと、体力的であるのと、闘争心の強いのと、強引であるのとは、あたかも密林に住む虎か、豹にたとえられよう。」

しかし、垢石翁は同じ文章のなかで、発電用のダムが造られ変貌した利根川について「大きな姿と、味の立派であることでは日本一の鮎を育てる利根川。旅の釣り人垢石を生んだ利根川は悲しい哉いまは滅びた。」 とも書いています。 

今年の利根川はどうなるでしょうか?垢石翁の少年時代のように鮎が沢山遡上し、その群れを追ってサクラマスが跳躍するような姿が戻ればすばらしいことですが・・・・・。

『この頃の日本へは、亜米利加系の虹鱒や河鱒、北海道から姫鱒などが移入されて繁殖しているが、その頃の利根川へは、古来東日本の河川に遡ってくる日本鱒である。もっとも群馬県庁水産係が明治の初年に、琵琶湖の鱒を移植したことがあるけれど、これは如何なる理由によるものか、繁殖が極めて少なく、まれに釣れるばかりである。利根川の日本鱒は、銚子の利根河口から三月中旬には、鮎と共に海の水と別れて、淡水に遡り込むのであるらしいのである。