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2007年3月 1日 (木)

佐野の舟橋(高崎市上佐野町)

現在、私は前橋に住んでいますが、生まれ育ったのは高崎市の上佐野町というところです。先日、実家の近所の史跡を訪ねてみました。

「佐野」という地名は地元を除き群馬県民にもあまり知られていないと思いますが、「佐野」の名は681年に建てられた「山ノ上碑」にも記されている古い地名で、「万葉集」の東歌にも多く登場します。平安以降の和歌にも多く詠まれ、「佐野」は、古典文学の世界においては群馬で最も知られていた地名でした。現在、高崎市には上佐野・下佐野・佐野窪の3つの地名に佐野の名が残っています。

P2243449 (佐野橋)

上佐野町の烏川を渡る上信電鉄鉄橋のすぐ下に「佐野橋」という木製の橋が架かっています。私が子どもの頃の佐野橋は欄干もなく、渡るのがちょっと怖いくらいの華奢な橋で、台風の大水で毎年のように流されていました。
この橋の北東側の崖上に「佐野の舟橋歌碑」があります。

この碑は文政10年(1827)に高崎市あら町にある延養寺の住職良翁が建てたものです。碑文は見にくいですが万葉集の東歌が刻んであります。

P2243425

「かみつけの佐野の船はしとりはなし 親はさくれどわはさかるがへ」

舟橋とは、舟をたくさん並べ板を渡して橋にしたものです。この舟橋には悲しい話が伝わっています。
昔、烏川をはさんで二つの村があり、それぞれの村の長者には息子と娘がいた。、二人はいつしか恋仲となり、夜に舟橋を渡って逢瀬を重ねるようになった。それを知った親が、ある日二人が会うことが出来ないように舟橋のまん中の橋板を外しておいた。
真っ暗な夜のこと、足元はぜんぜん見えない。何も知らない二人はいつものように舟橋を渡ろうとした。
翌朝、しっかりと抱き合った二人の遺体が川で発見された・・・・。

この歌碑はその二人の怨霊を慰めるために、建てられたとも言われています。

佐野の舟橋歌碑(高崎市HP)

P2243444

P2243445 (佐野橋から望む観音山)

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「歴史」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
私の家から近い荒川にも、同じような橋がありました。やはり台風が来ると良く流されました。
実はこの橋から叔母さんが自転車ごと落ちて亡くなっています。風の強い冬の日でした。
今は立派な橋に変わっています。

投稿: MARU | 2007年3月 2日 (金) 00時04分

佐野橋はなかなか良い味わいが出ていますね。
木製の橋は台風には弱いですから維持が
結構大変かな。
大井川にも蓬莱橋という木製の橋があります。やはり、大雨なんかで一部が流されたり
してます。

投稿: 無糖 | 2007年3月 2日 (金) 19時01分

MARUさん

叔母様のような事故のないように橋や道路については安全対策をきちんとやってもらいたいですね。
川や池に近づけない様な柵を作るのはどうかと思いますが。
昔の佐野橋も風が強いときはいつもに増して恐い場所でした。(この橋を渡ってよく釣りに行っていました)

投稿: こにタン | 2007年3月 2日 (金) 20時59分

無糖さん

この橋、昔は橋脚も木製だったのですが、今では橋脚は鉄製になっていました。
橋が流されるなんて大騒ぎだと思いますが、私が子供頃はこの橋が流されても、新聞の片隅にも載りませんでした。

投稿: こにタン | 2007年3月 2日 (金) 21時02分

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