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2007年3月 2日 (金)

定家神社 & 常世神社

高崎市佐野地区の史跡巡り(その2)。

佐野の舟橋歌碑」から道なりに下佐野町に進むと新幹線の高架をくぐったところに「定家(ていか)神社」があります。地元では「定家さま」と呼ばれています。
「定家神社」は『新古今集』の編者・藤原定家をお祀りする神社です。定家の血を引く民部卿為茂による「定家大明神之縁起」(元禄7年、1694)によると、定家が東国行脚の折、佐野の松原に草庵を結び、しばらく住んだ後、持仏の観音菩薩を村人に贈り、京へ帰った。村人達は定家を慕い、草庵を堂として、観音像を安置して信仰したとされています。

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この神社にまつわる面白い“まじない”があります。
半紙に「こぬひとを まつほのうらのゆうなぎに やくやもしほの みもこがれつつ」と書いて定家神社の木戸に貼っておくと、3日以内に失せ物が見つかるというものです。
子どもの頃のことで定かではないのですが、なにかが書かれた半紙が社殿の扉に貼ってあった記憶があります。今回訪れたときには何も張ってありませんでしたが。

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小学生だった頃、境内には、樹液を出す大きな木(多分クヌギだったのだろうと思いますが)があり、夏休みにはラジオ体操に行く前に自転車を飛ばして、ここでカブトムシ捕りするのが日課でした。その木は、もうありませんでした。少し寂しい・・・・。

 ☆  ☆  ☆

定家神社から新幹線高架沿いに少し北の方に行くと高架の反対側に「常世(つねよ)神社」があります。
「常世神社」は、謡曲「鉢木(はちのき)」に登場する鎌倉時代の武士、「佐野源左衛門常世」を祀っています。

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大雪の夜、身分を隠し旅僧姿の鎌倉幕府執権・北条時頼が、佐野源左衛門常世のもとに宿を求めました。常世は一族により所領を横領され貧しく、薪にも苦労していたのですが、大事にしていた鉢の木(梅、松、桜)を焚いて旅僧に暖をとらました。
常世は旅僧に「今はこんなに落ちぶれているが、“鎌倉”に急あれば、すぐにも馳せ参じ、合戦ともなればまっ先に敵に立ち向かう」と心の内を語りました。
それからしばらくして、各地の武士に鎌倉から招集がかかります。常世は「いざ、鎌倉!」と、やせ馬に跨り、古びた鎧姿で鎌倉に駆けつけました。
語った言葉通りに鎌倉に馳せ参じた常世に対して時頼は、奪われた所領を戻し、さらに薪にした鉢木の梅、松、桜に因んだ地名の3カ所の領地を新たに与えました。
以上が、謡曲「鉢木」のあらすじです。

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「常世神社」は佐野源左衛門常世の屋敷跡とされていますが、鎌倉時代に佐野源左衛門常世という御家人がいたという記録は残っていません。
でも、「鉢木」と「常世」は私には、とても親しみがあります。
私が通っていた保育所の名前は「鉢木保育所」、中学校の校歌にも「鉢木」に関する歌詞がありました。
佐野中出身者の方、さぁ、ご一緒にぃ~  (^^)
 ♪物語 佐野の鉢木 色も香も 梅、松、桜

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久しぶりに子どもの頃に行った懐かしい場所を訪ねてみました。三十年前と変わらない風景、大きく変わった風景が混在していました。
生まれ育った場所から遠く離れて住んでいるわけではないのですが、時間という距離は遠く離れてしまったなぁと感慨にふけった私でございました。

定家神社社宝(高崎市HP)

群馬県立女子大学「群馬学ことはじめ」
 ■中世歌人と神社
 ■「鉢木」の舞台 佐野

まっぷdeたかさき (高崎市地図情報提供サービス)

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コメント

こんにちは。
鉢の木のお話、確か小学生の頃 授業で取り上げられた記憶があります。大きな紙に絵を書いて...だったかな。忘れていましたが群馬のお話だったのですね。高崎は私にとっては駅前の華やかなイメージがそのままずっと残っていますが、地名等は殆んど知らないので、佐野のお話興味深く読みました。
我が家にある『日本の苗字事典』(オットがだいぶ前に買ったもの)の「佐野」のところにも鉢の木のお話が出てきていました。

投稿: katokyo | 2007年3月 3日 (土) 14時55分

katokyoさん

“鉢木”の話、ご存じでしたか。
栃木県の佐野市も鉢木の舞台と主張し、常世のお墓もあるそうです。(佐野源左衛門常世は想像上の存在というのが定説ですが)
そのうちに、高崎の‘まちなか’をぶらぶら歩きながらのレポートもしてみたいと思っています。
話はちょっと違いますが、katokyoさんの故郷の渋川市って、どうしてあんなに住所が分かりにくいのでしょうね。住所を見ても地図で探せなくって苦労します(^^;)

投稿: こにタン | 2007年3月 3日 (土) 21時03分

YahooのTOPニュースに「定家」の名前があったので検索したら辿り着きました^^

30年前に定家神社の近くに住んでました
ラジオ体操もしましたよ
中学生の頃はカードにハンコを押す係?でした 
この神社は忘れませんね
ソフトボール大会の練習をしたり、缶蹴りをしたり・・
たまに碑?ですか半紙に写してる方がいたかな?
盆踊りもここでした^^

カブト虫は僕らにとってお宝でしたね^^

今は世田谷に住んでおります
20年程前に1度神社の前を通りました
下佐野には友人もおりますが都内で会うことが多いです><

懐かしい気分にさせて頂きありがとうございました

投稿:  ROBIN | 2009年7月20日 (月) 11時30分

>ROBINさん

いらしゃいませ
コメントのお返しが遅くなってご免なさい。

定家さまは、子供たちのよい遊び場でしたね。
カブトムシが来ていた木は、もうありません。
でも、思い出は永遠です (^^)

投稿: こにタン | 2009年7月24日 (金) 22時42分

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